つぶちゃんとの別れと向き合い、気づきの連鎖の中で、ふと[永遠]という言葉が浮かぶ…。
永遠…
この世に[永遠]なんてない。
形在るものは、必ず無くなる。
そして出会いがあれば、当然ながら別れとセットなのだ。
老若男女、オギャーと産まれたばかりの赤ちゃんも、皆共通して言えること…。
それは皆、[死]に向かっているという事。
すなわち、それが[生きる]という事。
今日も何処かで、大切な人や可愛いペットとの別れが訪れている…。
僕がつぶちゃんとの別れを経験し、そして[悲しみ]と向き合う中で気づいた[永遠]とは…。
凧揚げを想像して欲しい。
揚げている凧が、どんどん上に上がってしまい、雲の中に隠れてしまって見えなくなってしまったとする。
しかし、凧は目に見えずとも、手に握る凧糸が張っていれば、まだ凧は揚がっている事が感じられる。
その凧糸こそが[想い]なのだ。
例え形は無くなってしまっても、[想い]という[糸]で繋がっている。
それもまた、
[考えるな!感じるんだ!]
というフレーズと繋がるのである。
そして、そこに辿り着けた時、[永遠]という感覚に辿り着けるのだ。
姿形が無くとも、[想う]ことができる。
それが[永遠]なのだ。
僕とつぶちゃんは、
永遠
なのだ。
そう感じる。

コメントを残す