やっぱり来た…。

9月8日の命日を迎えた。

準備は毎年、決まっている。

お墓の花を新しく供える。

その次に、つぶちゃんの生前の住処を水で洗い流し、その中に供えてあるお花の水を交換する。

そして、お供えを買いに走るのだ。

つぶちゃん、何がいい?

心の中で会話をしながら。

そこで、いつも気をつけている事…。

それは、お供えを買いに行ったり、準備をする時にイライラしない事。

なぜなら、その波動も供養に乗っかってしまうから。

温かい想いの中で、つぶちゃんを癒やしてこそ[供養]となる。

僕の心がギスギスしてたら、その想いの中で癒されるはずの[つぶちゃん]も、癒されるどころか居心地が悪いのだ。

だから供養とは、つぶちゃんを供養するために自分の心を温かく成長させ、その中でつぶちゃんを癒やしてあげる。

すると、つぶちゃんも、

拳ちゃん、居心地いいよ。

ありがとう。

そして、つぶちゃんオーラとなって現れてくれる。

供養とは、そんな二人三脚のように、お互いが成長する(成仏する)事なのである。

まずは、つぶちゃんの生前のお家の中を洗おうと覗き込むと…。

来ていた…。

小さな[命]が…。

水槽内に供えたウコンの花びらをソファにして、アマガエルが一匹くつろいでいるではないか!

僕は人差し指を近づけて、

「おいで…」

と声をかけた。

すると…

アマガエルはモゾモゾと動き始めて、僕の指先へと歩きだした。

やっぱり、そうだ…。

今年は、このアマガエルちゃんだな。

さすがにアマガエルは飼うわけにはいかず、少しホッとした気分ではあった。

しかし、指先に止まるアマガエルを見つめながら、会いに来てくれたんだと思うと、この一期一会が嬉しくも寂しくもあるのだ。

記念撮影を終えると、アマガエルを水槽の中に降ろした。

アマガエルは再び、居心地の良さそうな花びらを選び登り始めた。

つぶちゃんの供養のお勤めを終えて、再び様子を見に行くと、もうアマガエルの姿は消えていた。

会いに来てくれて、ありがとう。

頑張って生きるんだよ。

幸せになってね。

そう、想いを馳せるのであった。

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