先日のカウンセリング時に、クライアントさんとの話題に上った[お墓のお花]について書こうと思います。
お墓とくれば、気になるのは供花についてである。
お墓が住まいから離れており、造花を供えさせてもらってもいいのだろうか…。
そんな質問を受ける事もある。
そもそも供花は、故人に対するこの世に残る者からの想いの形。
想いのエネルギーが宿るもの。
華やかに越したことはない。
しかし、花もお墓に供えられ、花瓶の中の限られた水を頼りに生きているのだ。
照り返す日差しに負けまいと…
強風に花びらを掻き乱されながら…
雨の重みに耐えながら…
我々の想いを宿し、一生懸命に彩りを与えてくれている。
そんな供花に感謝を込めて、僕は水替えを行う。
たとえ雨が降っていて、花瓶の中に水が満たされていようとも…。
なぜなら、その水は雨水である。
僕からの[感謝の水]で満たすために。
雨の中、頑張って彩りを与えてくれて、ありがとう。
そんな[想い]のエネルギーを込めて…。
そして、花たちが少々枯れてこようが、早急に変える事もしない。
枯れ始めると人目を気にしてすぐに買い換える人もいるようだが、花も一生懸命生きている。
最後の最期まで、供花を全うしてもらうのである。
そして、花瓶に備わっている以上、たとえ枯れていようが水替えは行う。
そして、役目を終えたと判断したとき、[ありがとう]の言霊と一緒に新聞紙に包んでお別れするのである。
そんな流儀をもって供花と向き合っていると、この花たちの[喜び]を感じるのである。
先に述べたように、供花は我々の[想い]のカタチ。
その供花が喜ぶという事は、僕の[想い]が喜んでいるということ。
[僕は幸せである。]
と言うことなのだ。
すなわち、お墓に供えられた花の姿は、自分の姿なのである。
僕の内側(心)の映し鏡なのである。
今回は、物言わず、ひたすら彩りを与え続けてくれている、お墓の花への感謝のお話でした。

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