我々人間には、物事を推し測る[物差し]機能が備わっている。
他者と向き合うにあたり、年齢差や身長差、性格的な違いなどを無意識に測っている。
そして、いつの間にか[優越感]や[劣等感]が生じることもある。
社会的ステイタスも、そんな[物差し]の判断材料となる。
しかし、本当にそれで正しいのだろうか…?
違う。
それらは上辺だけの[判断材料]でしかなく、人間のあるべき本質を測る[判断材料]にはならないのである。
人間の本来の姿の[優劣]は、それぞれの人間の持つ[愛]の大きさこそが最も重要なのである。
「そんなものは、キレイごと」
「誰だって自分が最優先に決まってる」
そんな声も聞こえてくるが、それもまた正解なのである。
その人たちは、その[次元]を生きているのである。
[自分]という、とっても大切な[次元]の中で生きているのだ。
先に述べたように、人間には個人差がある。
持って生まれた[肉体的]なものや、生まれ落ちた[環境的]なもの…。
それらこそが、我々の人生の礎となるのである。
同様に、我々人間に宿る[魂]と呼ばれるエネルギーも、[輪廻]を繰り返す中で[大きく成長したエネルギー]もあれば、[発展途上のエネルギー]もあるのである。
そんな、内側に宿るエネルギーの大きさによって、我々の生きる[人生ゲーム]のステージは違ってくるのである。
結婚して家庭をもち、子供にも恵まれて、やがて育った子供も親となり、孫との出会いを迎え、やがてはこの世から消えていく…。
それが[人生ゲーム]のスタンダード。
しかし、成長を果たし膨大なエネルギーとなった[魂]を宿した人間には、この世で果たすべき[使命]が与えられている。
[人生ゲーム]の[ファイナル・チャプター]を生きるのである。
たとえ、肉体的には小さな小学生だとしても、もしかしたらその子に宿る[魂]のエネルギーは、輪廻の中で成長を果たした大きなものである可能性はあるのだ。
そして、その子供も肉体的成長と共に、やがて[使命]と向き合う時を迎えるのである。
[人生ゲーム]のFINAL CHAPTERを…。
人は皆、法の下に平等である。
しかし、天の下には不平等なのである。
この[不平等]こそが、肉体に宿る[魂]からの願いなのである。
この[不平等]を恨むのではなく、そこから[愛]を学び、[愛]のエネルギーで内側を満たして欲しいと…。
それこそが、[魂]の成長なのである。

ね
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