安倍元首相が凶弾に倒れ、お亡くなりになられて二週間が過ぎた。
明らかになった犯行動機…
それは、自分の母親が信仰を仰ぐ宗教団体への恨み。
教団の信者である母親から財産を巻き上げ、家庭を壊された息子からの教団に対する[怒り]のメッセージであった。
安倍元首相の尊い[命]と引き換えに、その教団内の膿は[世論]のメスによって再び陽の元に晒される事となった。
霊感商法で不安を煽り、高額な商品を購入させたり、財産を積めば積むほど神に近づけるという教え…。
そして、こんなニュースが世を賑わすと、必然的に[宗教なんてロクなもんじゃない]と加速する宗教離れ。
今回は、そんな[宗教]の抱えるジレンマについて書こうと思います。
そもそも[宗教]とは導きである。
どこに導くのか?
[真理]へと導くのである。
[真理]とは何か?
簡単に例えるならば[シーソー]を連想して欲しい。
片側が沈めば、もう片側は浮き上がる。
その逆もしかり。
この世にある言葉、
[あっちが立てば、こっちが立たん。]
である。
[真理]とは、このシーソーがどちらも中立を保ちながら、お互いに向き合いながら[笑顔]でいる状態である。
こちらから[気持ちいいね!]と笑顔を送れば、向こうからも[そうだね!]と返ってくる。
要するに、[相手を思いやる想い]こそが[真理]なのである。
そこに向かって努力しながら、成長しながら[生きる]ことこそが[真理の道]なのである。
そして、それができるようになった時、内に宿る[魂]は上書きされていくのである。
それを伝えるのが[宗教]の役割りなのである。
どうか、勘違いしないで欲しい。
[宗教]が悪いのではなく、それを扱う[人間]が悪いということを。
今回クローズアップされた教団の[教義]は知らないが、本来の宗教のもつ[教義]とは[真理の道]であり、[真理の道]とは[愛のチカラ]なのである。
片側が[幸せ]を感じたとしても、もう片側が[涙]を流せば、それはもう[真理]から外れている証なのである。
この世の中、皆で笑顔で過ごす為には、[自我]を抑える必要がある。
そして、自我を抑えてくれた相手に対して[感謝]なのである。
それが[宗教]の導き…
[真理の道 愛のチカラ]

コメントを残す