つぶちゃんとの別れを経て、たどり着くことが出来た[想いで繋がる]という境地。
そこに至るまでの意識の変化や、身の回りで起こる不思議現象を記録し、やがて本として書き残そうと執筆活動に入った。
結果、一冊の本として出すには充分な原稿量にもなり、執筆は完了した。
タイトル
[つぶちゃんとの旅]
である。
今の時代、紙からデータへと主流が移行しつつある中、その執筆した原稿データはUSBメモリーに入ったままとなっている。
自費出版しても、本が売れなければただの道楽となってしまう。
せっかく書き上げた原稿であるから、いつか製本されて[形]となって世に出したいとの想いは捨ててはいない。
それでも、いつまでもUSBメモリーの中に眠らせておくのもどうかと思い、このブログの立ち上げに至った経緯であります。
このブログは、そんな原稿の中からサクサクっと掻い摘んで端的に書いたものであり、また新たな気づきを足して書き綴ったものでもあります。
今回は、[つぶちゃんとの旅]の原稿を書きながら、その時に僕の感じ取った事を伝えたいと思います。
最初は原稿用紙に手書きで、ある程度のイメージをツラツラと書いておき、それを後にパソコンに打ち込み文章を成立させていく。
その作業は長きに渡るため、そのデータはしっかりとUSBメモリーへと毎回保存する。
万が一、パソコンが壊れようものなら、全てが水の泡となってしまう。
案の定、執筆の途中でパソコンが不具合を起こし、僕は新しいものを購入する事にした。
そこで僕は、イメージが浮かんだのである。
コレだ…。
これこそが、肉体と魂の関係性ではないか…。
僕はパソコンを使い、その中に[物語]を創りだしていく。
すなわち、パソコンは[肉体]なのである。
その肉体であるパソコンが壊れてしまっても(肉体が滅びても)、その中のデータ(記憶)はUSBメモリーに保存する事で、その中で生き続けることができる。
そして、そのUSBメモリーを新しいパソコン(次なる肉体)に接続したとき、その中のデータ(記憶)は新しいパソコンに再現され、[物語]の続きはそのパソコンの中で進行していく。
また、過去の書き直しも可能なのだ。
これこそが、肉体と魂の関係性を例える事例にピッタリではないだろうか。
肉体と魂
魂は肉体に宿り、その一生を記録している。
[肉体は滅びても、魂は死なず]
そんな言葉があるように、肉体から抜けた魂は、次の肉体へとその[データ]をお持ち帰りするのだ。
我々の[生きた証]は魂に記録され、次の肉体で再現される。
これが[輪廻]であり、[魂]の記録が[完成]へと向かう[旅]なのではないか。
僕はパソコンを買い替えながらもUSBメモリーにデータを残し、ついにそのUSBメモリーの中身である[つぶちゃんとの旅]を完成させる事ができた。
それは今、宝箱の中に保管されている。
肉体と魂
それは
パソコンとUSBみたいなもの。
壮大な[物語]を完成へと導こうとしている。
それが[魂 (USBメモリー)]の使命なのだ。

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