1999年6月26日

ラスベガスでタイトルマッチは行われた。
試合はお互いに、最終ラウンドまで激しく打ち合い、後にリングマガジン・ファイト オブ ザ イヤーに選出されるほどの激闘となった。
そして、試合結果は…
0-3の判定により…
ポーリー・アヤラが、新チャンピオンとして誕生した。
プロキャリアの中での、初めての敗北を味わったジョニー…。
その後の彼の落胆は酷かった。
自身の存在価値を完全に見失い、彼は内側の闇を彷徨った。
そして起こした自殺行為…。
ジョニー・タピアが薬物の過剰摂取により、病院に運ばれて昏睡状態にある事をネットニュースが伝えていた。
その記事を目にした時、その衝撃に身体が硬直した。
すぐに安否の心配を伝える旨のメールを送るも、当然の事ながら返信は来なかった。
ネットニュースの進展情報だけが頼みの綱であったが、なかなか思うようには伝わってこなかった。
どれだけ悶々とした日々を過ごしたろうか…。
ある日、メールチェックをしていると、[TEAM TAPIA]から返信が届いていた。
恐る恐るメールを開封すると、ウェブマネージャーからの返信であった。
“ジョニーの意識は戻ったから、安心して欲しい。本人にも伝えておくから。”
そう書かれていた。
いつ最悪の事態が起きても不思議ではなかった彼のクレイジーライフ…。
今回ばかりは…
と諦めかけたが、彼の生命力の強さに頬が緩んだ。
[まだ天に帰るには早すぎる。]
まだ、果たすべき事が残されている。
そして、片付けなくてはならない[宿題]が残っている。
きっと、そういう意味なんだろう。
そう解釈した。
そして、それは見事に的を得た解釈であった事が、これから先に証明される事となる。
DIE HARD(ダイ・ハード)って映画があったけど、ジョニーもちょっとやそっとじゃ死らないDIE HARD MANなのだ。
つづく。

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