[ご縁]の正体

1980年代中頃から90年代にかけての思い出…。

当時の日本は、バンドブームの真っ只中であった。

ハードロックやヘビーメタル、パンクロックやコミックバンド…。

更に様々なポップスサウンドで、日本の音楽シーンは活況を呈していた。

14歳で初めて観た[横浜銀蝿]のコンサートに刺激を覚えた僕は、15歳からは外国のミュージシャンのライブに入浸りとなっていく。

リック・スプリングフィールドが、外国のミュージシャンでの初のライブ経験であった。

SONY MUSIC co

リックがギターを掻きむしりながら、ステージ狭しと走りまわる姿…

そして、激しいビートに包まれながら、リックの甘いヴォイスが僕の内側を叩く…。

このリック・スプリングフィールド のライブパフォーマンスが、僕をライブコンサートの虜にしたと言っても過言ではない。

そして年齢を増すごとに、他県にも足を延ばすようになっていった。

今回はそんな、ライブ漬けの青春時代に思いを馳せながら、綴っていきたいと思います。

当時、お気に入りのアーティストは数多く存在していましたが、今回は[中村あゆみさん]と[川村かおりさん]の楽曲との思い出を振り返りたいと思います。

中村あゆみさん

WARNER MUSIC JAPAN

[翼の折れたエンジェル]が大ヒットし、その後も魅力的なハスキーボイスで[魂の叫び]と共に、たくさんのパワーを与え続けてくれている。

川村かおりさん

UNIVERSAL MUSIC JAPAN

モスクワ生まれの彼女は、ロシア人の母親と日本人である父親との間に生まれたハーフである。

彼女の歌に込められた、

[そこにポツンと在る、自分という存在…]

[これから僕は、どうなってしまうのだろう…]

まるで産まれたての子鹿が、必死に立とうとしているかの様な…。

そんな[希望]と[不安]を併せもつような…。

彼女の歌う楽曲からは、そんな温もりをもらっていた。

[中村あゆみ]と[川村かおり]。

二人のコンサートへ足を運び続ける内に、僕はある[事実]に気づいた。

それは、中村あゆみさんのライブで見かける常連さんを、川村かおりさんのライブでも頻繁に見かけるのである。

やがて、そんな常連さん達とも言葉を交わす様になり、情報交換をするようになると、その[事実]の謎が解明された。

それは、

[中村あゆみ]

[川村かおり]

この両者に楽曲を提供したり、編曲を担当していた[髙橋研さん]の存在であった。

[中村あゆみ][川村かおり]

二人のミュージシャンとしてのキャラクターの中に、決して目立つ事なくそっと宿り、しかも楽曲全体に[癒しと潤い]を与えていた[髙橋研さん]という存在…。

結局、両者のコンサートの常連さん被りは、[髙橋研さん]がもたらしてくれたものであったのだ。

常連さん同士、仲良くなれたのも[髙橋研さん]が縁を取り持ってくれたのだ。

まさしく、そんな[無意識]の内に、趣味趣向に引き寄せられた僕たち[常連仲間]は、ソウルメイトと呼べるのであろう。

また、

[中村あゆみ]

[川村かおり]にとっての

[髙橋研さん]は、

[魂]のような存在だったのである。

今、あの時を振り返り、

そう感じる。

中村あゆみさんは今も尚、僕の[外側]から元気な歌声を届けてくれている。

そして、

川村カオリさんは、

僕の[内側]で永遠に輝いている。

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