ご縁という不思議

昨日、土曜日の朝のこと…。

薄黒い雲に覆われた空を見上げながら、やがてこぼれ落ちてくるであろう[涙]と競走するかの様に、我が家のお墓の供花の水替えに向かった。

我が家のお墓のある墓地は、玄関を出て50歩もあれば着いてしまう。

その内の20歩ほど進んだところで、僕は[気配]を感じ足を止めた。

[ここだよ…]

そんな[メッセージ]の発信源へと向きを変えると、そこにはヘビの子どもの時が止まっていた。

そっと手のひらに乗せて、その[無念]を包み込む。

亡骸はしっかりと形を保っており、車やバイクに踏まれてしまったのとは違う様子である。

ただ一箇所、胴体に亀裂が入り、そこから内臓が出てしまっていた。

その様子を見るに、それほど時間も経過していない感じであった。

[よかった。]

どこか胸の中が[安心感]に包まれ、見つけてあげる事ができた[喜び]というか、弔ってあげられる[ワクワク感]で満たされる。

いつも言うように、この[外側の景色]は僕の内側の[映し鏡]なのである。

僕の内側が今、[安心感]や[喜び]に満たされているという事は、それがこの亡くなったヘビの子どもの[想い]であるのだ。 

そのまま手のひらに包み込んでお墓に着くと、そこには近所のちびっ子たちが待ち構えていた。

近所に住む、来年に小学生となるRくんと、その弟のTくんである。

この墓地は二人の縄張りみたいなもんで、行く度によく顔を合わすのである。

実はこの二人(実際にはお兄ちゃんも合わせて三人)は爬虫類が大好きで、我が家の[カメだ!三兄弟]を可愛がってくれたり、つぶちゃんのお墓にも手を合わせに来たりと、どこかシンパシーを感じるのである。

「カメのおじちゃん、何を持ってるの?」

事情を説明すると…。

「僕たちもお参りしたい!」

そう言ってくれたが、雨が今にも降り出しそうな為、埋葬したお墓に後日お参りにくるようにと納得させた。

法衣に着替えた後に、ヘビの子どもを[読経]で包み込む。

僕の想いの中で…。

読経に包まれて…。

癒されてね。

そんな想いに包まれて、

ヘビは安らかな場所へと収まった。

そして埋葬が終わり、玄関に入ろうとした時、そのタイミングで今度はRくんのお母さんが現れたのであった。

軽く挨拶をして通り過ぎたが、この[引き寄せ]の不思議はおそらく、Rくん兄弟たちとその家族との[龍神様]繋がりに他ならないのである。

[龍神様]に愛される人間に導くことが、僕たちが出会った意味だと確信している。

結局、雨は降り出すことなく、無事にヘビを埋葬し、読経も勤めあげることができた。

良かった。

まさに、天は見守ってくれている。

そんな満足感に浸っていると、

お墓でRくんが放った言葉が甦った。

「おじちゃんはどうして、ぼくのちかくにすんでるの?」

そんな、無意識に放ったRくんの言葉の意味…。

それは、

[会えたね!]

そんな[言霊]に感じるのであった。

そう。

[魂]からのメッセージなのだ。

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