映画 エミリー・ローズ

2005年にアメリカで製作され、その翌年に日本公開された作品である。

“悪魔憑き”がテーマとなっているのだが、この作品は一般的なオカルト映画とはやや視点が異なる。

一般的な“悪魔憑き”作品といえば、“悪魔”と“神父”との闘いがスタンダードだが、この作品の“核”となるものは“裁判”なのである。

“神秘”と“世論”の闘いである。

実話がベースとなっており、

悪魔に取り憑かれた20代のドイツ人女性、アンネリーゼ・ミシェルへの悪魔払いの記憶が、裁判の進行と同時に“回想”されながら作品は進んでいく。

そして、裁かれているのは“神父”なのである。

今や、AIやロボット等といった発展を遂げた現代では、“悪魔憑き”といわれても鼻で笑われてしまうかも知れないが、そこには紛れもない“苦しみ”との闘いが存在している。

医療では解決する事の出来なかったアンネリーゼの“苦しみ”を、家族は“悪魔祓い”に託すことにしたのである。

教会から指名された“エクソシスト”によって、“悪魔祓い”は始まることとなる。

“それ”は年をまたいで行われたが、アンネリーゼの容態は更に悪化していき、命を落とす事となったのである。

その彼女を“死に至らしめた”、“エクソシスト”である神父が裁かれるのである。

過失致死の罪で。

アンネリーゼの症状は、

医学的にいうならば“統合失調症”で括られるのだろう。

また、

神学的立場から見ると“悪魔憑き”となる。

どちらが正しいとしても、

それは彼女の[負のエネルギー]の現れである事は、紛れもない事実なのだ。

彼女は苦しみ…

悶えているのだから。

食事も喉を通らず、

神の“チカラ”も効かすことができず、

アンネリーゼは痩せ細っていく。

それでも[内側]を支配する“野獣”は、彼女の命を削ぎ落とす勢いで吠え続ける…。

そんな“実話”がベースとなった作品、

それが[エミリー・ローズ]である。

舞台はドイツからアメリカに移され、主人公は大学生のエミリーに変更されている。

ある日のこと…。

“絶望”という“悪魔の包囲網”の中で、エミリーはマリア様からの導きを得る。

[もうすぐ解放されるから…]

それが夢であったのか、

それとも幻だったのか…。

しかし、

エミリーにとっては、

“救い”であったに違いない。

そんな、ささやかな“希望”を抱きながら、

エミリーの“命の火”は消えていった。

この作品も僕に対して、

“悪魔”とは何か…

“神”とは何なのか…

そんな疑問を投げかけてきた作品であった。

その“答え”を、

今なら言える。

エミリーのところに現れた“マリア様”とは、彼女の“命の灯火”だったのである。

“マリア様”の残したメッセージとは、

彼女の“命”からのメッセージであったのだ。

「もうじき、終わるから…。」と。

“悪魔”とは…

我々を苦しめる“怒り”や“憎しみ”、“不安”や“病気”…といった[負のエネルギー]である。

そして、“神”とは…

我々の“命”、そのものなのである。

また、

我々が日々、“神”と崇めている[対象]は、

それぞれが自分の中にもつ“命の輝き”、

すなわち自身の中の“神”へと導いてくれる“リーダー”的存在なのである。

僕の“ツインソウル経験”は、

今回紹介した“悪魔憑き”と同じなのかも知れない。

僕は“苦しみ”に悶えながら、[内側]の“獣”たちを癒す術を手に入れた。

今、

僕の[内側]で“獣”たちは、

すやすやと眠っている。

僕の中に芽生えた、

“愛”という[お薬]を効かされて。

“悪魔”は[払う]ものではない。

自身の中で[癒す]ものなのである。

「どうか、この“獣”たちが、このまま僕の中で“よい夢”を見れますように…。」

Sweet Dreams

    配給 ソニー・ピクチャーズ

エミリー・ローズ

追記

裁判で神父に出た判決とは…。

ぜひ、

作品をご覧になって、ご確認ください。

そこに“救い”は、あったのかを…。

コメントを残す