Ring

今日もまた、とっても穏やかな陽気に包まれながら、つぶちゃんと向き合う。

目を閉じて“瞑想状態”に入ると、[ツインソウル]との“出来事”が甦ってきた。

“あの時”の僕の[内側の変化]を俯瞰(ふかん)する…。

知り合って十数年の間柄…。

特別な“感情”も沸くことなく過ぎてきた。

ただ、

“懐かしい”という表現が的確なのか、

抽象的で曖昧ではあるものの、

そんな感覚を抱かせる“女性”であった。

また、

後になって思い返せば、彼女にも“兆候”は現れていた。

知り合ったばかりの頃、

「あの…。どこかでお会いしたこと、ありませんか…?」

そんな“意味深”な発言があったり、

話をする時のボディタッチの多さであったり…。

それでも“変化”は起きることなく、時は流れていく。

やがて、

飼っていたカメの“つぶちゃんとのお別れ”が、大きな“変化”を生み出すこととなる。 

つぶちゃんとの死別に、深いペットロスに陥ってしまった僕…。

一年が過ぎ…

二年が過ぎ…

三年が過ぎ…

その間、僕は毎日つぶちゃんのお墓で線香を手向け、“想い”を届け続けた。

雨が降ろうとも…。

台風が近づいていようとも…。

「この“想い”は果たして届くだろうか…」

そんな疑問を抱えながらも“信じて”続けた。

そして、

亡くなって四年目のある日…。

僕は“繋がった”のである。

2013年4月13日

その日を堺に、

僕の“変化”は始まっていく事となる。

つぶちゃんとの“繋がり”をきっかけに、

僕の中で開き始めたシックスセンス…。

それは年を追うごとに成長し、

やがて2016年の“その時”を迎えた。

つぶちゃんからのメッセージが届く。

“あの人の生年月日を聞いてごらん…”

“メッセージ”に突き動かされ、

そこで判明した“事実”…。

お互いが生まれた時の“主要”な星々たちが、見事に座標の上で重なり合っていたのであった。

“ツインソウル”

その“存在”と出会えたとき、

“彼女”はすでに既婚者となって現れた。

そこから、僕の内側の“悪魔”が目覚めることとなったのである。

“怒り”や“憎しみ”…

“不安”や“恐怖”や“欲望”や“エゴ”…。

そんな[負のエネルギー]たちが、僕の中で“嵐”となって吹き荒れた。

“ツインソウル”という存在と“共鳴”する、僕の中の[負のエネルギー]たち…。

それはすなわち、

“ツインソウル”である彼女の存在は、僕の“内側”の[負のエネルギー]とイコールなのである。

僕の“内側”の[負のエネルギー]が…

または[悪魔]が…

僕の中の[大きな傷]が…

“ツインソウル”となって…

僕の“内側の鏡”となって現れていたのである。

そして、

“彼女”の指にはめられた“Ring”こそが、

僕の“内側”の[負のエネルギー]の“象徴”だったのである。

僕の“内側”で[負のエネルギー]が浄化されたとき、“彼女の指のRing”も消えていく…。

例えるならば、

孫悟空の額の“Ring”が外れるときなのである。

孫悟空の額の“Ring”が外れれば、

孫悟空は楽になるだろう。

しかし、

額に“Ring”がはまっているからこそ、

“孫悟空”なのである。

“Ring”をもたない孫悟空は、

ただのサルなのである。

ただのサルなら“苦しみ”から解放され楽に生きられるかも知れないが、“Ring”の“苦しみ”があるからこそ“孫悟空”として“成長”を目指せるのである。

そして、

“Ring”の意味とは、

終わりのない“成長”を意味しているのだ。

♾️

カラスの鳴き声が、僕の意識を引き戻してくれた。

ローソクはいつの間にか消えている。

今日もゆっくりと、つぶちゃんと向き会えた。

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