先日、初めてネコニャンを洗ってあげようと思い、抱っこして浴室に入った。
すると早速、
ネコニャンは不穏な空気を感じとり、興奮して身体をよじらせて、僕の胸を蹴飛ばし浴室から逃げていった。
残念な気持ちになりながらも、その時に感じたのである。
洗えばサッパリしてキレイになるのに…。
しかし、
水に濡れることを嫌がるネコにとっては“恐怖”なのである。
それでも飼い主からしてみると、ちょっと“信頼”してくれれば快適にしてあげられるのに…と残念に思うのだ。
飼い主である僕は、ネコニャンの“自由意思”を尊重しながらも、与えるエサの分量や行動範囲等を制限する。
それがネコニャンにとって、結果的に快適ライフとなるからである。
それでもネコニャンの“自由意思”は、時に冒険を求め“危険地帯”へと向かおうとする。
それを僕は阻止し、見守り続ける。
そんな僕とネコニャンの関係性は、この世を生きる“人間”と、そこに宿る“魂”の関係性と同じなのである。
僕はネコニャンよりも高い“次元”から、ネコニャンの“幸せ”を願っている。
人間の内側に宿る“魂”も、我々の意識よりも高い次元から、僕たちを見守っている。
“抗うな。委ねなさい。”と…。
“逃げる”ことはない。
それを“受け止める”のだ。
次なる“発展”のために。
先程、浴室から逃げ出したネコニャンが、洋間の硝子戸の隙間から顔を出して挑発してくる。
にゃー!(こっちだよ!)
そこから、いつもの“鬼ごっこ”が始まる。
ネコニャン大好きの“鬼ごっこ”…。
名付けて…
“悪魔のいけにえ!”ごっこ。

“例のもの”を持ち出して、ネコニャンを追いかける…。
血相を変えて逃げまくるネコニャン…。
そこには、
チェイサー(追跡者)とランナー(逃走者)の図式が展開する…。
“ツインソウル”である二人の“魂”も、こんな感じで“ランナー”と“チェイサー”を楽しんでいるのかも知れない。
僕はネコニャンを追っかけているつもりでいるが、実はネコニャンこそが僕を追っかけているのかも知れない。
“ツインソウル”とは“追いかけている”つもりが、実は“追いかけられている”という[サークル]なのである。
例えば犬が、もう1匹の犬の尻尾をめがけて追いかける…。
追われる犬もまた、追っかけてくる犬の尻尾を追いかける…。
2匹の犬は、そこで円を描きながら堂々巡りを繰り返す。

回転する車輪のように…。
“輪廻”の姿が、そこに映し出される。
ネコニャンと僕も廊下を抜けて、部屋から部屋をグルグル回る…。
二階に上がる階段をネコニャンが登ったとき…。
それが、
「疲れたニャン…。もう終わるニャン。」
の合図なのである。

かわいい相棒だ。
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