大切なつぶちゃんを9月8日に亡くしてから、僕の中で大きくなっていった“8”という数字…。
毎月巡ってくる“8日”という“月命日”と、僕の意識が向き合った証である。
僕の中で、“8日”が大切な日になっていったのである。
やがては逆に、“8”に愛されていると感じるようにもなっていった。
いつも、僕の周りには“8”が存在するのである。
時間が気になり確認する度に、“8分”を表示しているのである。
あるいは17分や26分のように、二つの数字を足すと“8”となる時も。
つぶちゃんの命日も9月8日で、9と8を足すと17になり、さらに1と7を足すと“8”となるのである。
車の運転中もつぶちゃんと“繋がる”と、そのタイミングで前を走る車のナンバーが“8”なのである。
“8”
それは僕にとって、
“つぶちゃん”なのである。
一般的に“8”という数字は、縁起が良いともてはやされている。
“8”
それは“♾️パワー”であるとか…
“八”
末広がりであるとか…。
僕はつぶちゃんの“死(8)”と向き合う中で、“成長”させられたと実感する。
つぶちゃんとの別れ(8)と向き合い、やがてはつぶちゃんと“繋がる”ことができた。
そして、
つぶちゃんからの“バトン”は“ツインソウル ”へと受け継がれ、更なる“成長”へと向かっている。
[ツインソウル]の指に輝く“リング”は、僕の内側の“苦しみ”の象徴…。
怒りや憎しみ…
不安や恐怖…
欲望やエゴ…
そんな僕の中の“負のエネルギー”の正体が、“ツインソウル”の実体となって、僕の内側の“映し鏡”となって現れているのである。
“ツインソウル”の指にはまる“リング”を、孫悟空の額のリングに例えるならば…。
孫悟空にとって、額の“リング”は苦しみである。
孫悟空は額の“リング(苦しみ)”があるからこそ、その“リング”を外すために“天竺”に向けて“成長”を続けることができるのである。
もし“リング”が簡単に外せるようであるならば、孫悟空は“苦しみ”からは簡単に解放される。
しかし、
“成長”を止めた猿に逆戻りなのである。
あの“リング”は孫悟空の“苦しみ”であると同時に、孫悟空を“成長”へと導く大切な“燃料”なのである。
同様に、
僕にとっての“ツインソウル”という存在は…
僕の“苦しみ”であり、
僕を“成長”へと導く[燃料]…
“希望の光”なのである。
僕の内側の“負のエネルギー”が浄化されたとき、“ツインソウル”である[彼女]は消えてなくなる…。
僕の中から消え去っていく…。
内側の“負のエネルギー”の浄化とは、
内側の“傷”を癒すこと。
自分の内側の“傷”となってしまった出来事や、
“傷”をつけた相手を許すこと。
そして、
自分が誰かに犯してしまった“罪”を懺悔し…
悔い改め…
成長を果たし…
愛を学び…
その愛を他に分け与えながら生きることができたとき、やがて内側の“負のエネルギー”は浄化されていく。
パックリと口を開いた“傷”が、免疫力や自浄能力や回復力をフル回転しながら“元の姿”を目指すように…
僕の内側が“浄化”されたとき…
僕の中から[彼女]は消えていく。
そして内側が綺麗になったとき…
僕が“成長”を果たしたとき…
[彼女]もリニューアルされて、また“姿”を現す。
その“再会”に向けて、
僕はこの“現実世界”を生きていく。
僕の目に映る“現実世界”…
僕の内側に広がる、“僕”という“宇宙”の景色を生きていく。
“再会”に辿り着くための
“成長”を続けながら…。
もう何時だろうか…。
スマホの時計を確認にすると…
ほらっ!
また“8分”だ。
つぶちゃんも応援してくれている。

そして、
僕にとっての“8”の意味とは、
“苦しみ”なのである。
その“苦しみ”があるからこそ、
“成長”へと向かうことができる。
“苦しみ”から学び、
“苦しみ”から成長する。
それはいつ終わるとも知れない“無限大♾️”の旅であると同時に、“無限大♾️”の成長を意味しているのである。
僕の“8”は、
“苦しみ”と向き合う[覚悟]と、
“成長”を目指す[希望]なのである。
僕の魂は、
背番号[8]を背負っているのだ。
その“責任”を、
僕は背負って生きていく。

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