2013年に紛争地シリアで起きた、デンマークの若者の人質拉致事件の実話を描いた作品。
若者は報道写真家となる事を志し、戦争の続く紛争地のシリアに入る。
現地のガイドに従うも、武装勢力に拉致されてしまう。
若者はそこで、“怒りの連鎖”を身をもって経験する事となる。
憎きアメリカのCIAではないかと疑われ、度重なる拷問に肉体も精神も疲弊していく…。
やがて若者は他の人質たちと同じ部屋に移され、そこで儚い“友情”も芽生え始める。
しかし、
現実は地獄絵図。
儚い友情は、“怒り”によって引き裂かれていく…。
やがて、武装勢力からの身代金要求も始まり、若者の家族や周辺の“苦しみ”は加速していく…。
“金”を渡して、無事に取り戻したいと願う家族の想い…
武装勢力に“金”を渡せば、その“金”が新たな“暴力”を生み出す現実…
その相反するジレンマの中で、無事を願う家族の苦しみと葛藤は続く…。
作品のタイトルを見てわかるように398日という“地獄の日々”を経て、若者は家族の元に還ることができたのである。

そこに至るまでの“経緯”は、観る者を“現場”へと引き込んでいく…。
この作品を観るのは今回が二度目であり、
amazon prime videoに、新たに追加されていたので観る機会を得たのである。
ストーリー展開のイメージは植え付けられているのであるが、やはり映画は再度観ることによって新たな“気づき”を得るものである。
また、
その作品を観る時の“内側の状態”が、
その作品の“味”となるのである。
いつも言うように、
“内側が外側の世界を創っている”
それと同じように。
初めて観た時の僕の“内側の状態”から、
おそらく僕の”内側”が変容したのだろう。
今回、この作品を観直して感じたこと…
僕は“ツインソウル計画”の始まりと同時に、
僕の内側の“紛争地帯”へと入って行った…。
そこで僕は、
僕の内側に存在している“武装勢力”と向き合ったわけである。
“それ”が始まった当初は、まるで人質になって監禁されているような“苦しみ”であったが、今はハッキリと感じるのである。
僕は“人質”ではない。
僕は今、
僕の中の“武装勢力”と対話をしている。
言い分を聞いてやり、
そして、落とし所を見つけようとしている。
“人質”ではなく、
“交渉人”といったところか。
この作品は、
今の僕の“内側”を客観視する機会を与えてくれた。
皆んなの“内側”が“愛”に目覚めれば、
“怒りの連鎖”は断ち切れるはずなのに…。
そこに辿り着くのは簡単ではないのだ。
また、僕もその“旅”の途中なのである。
いつものコーヒーショップで、
この原稿のキーを打っていると…
キーを打つ僕の指先の爪が、突然“つぶちゃんオーラ”に染まった!
ちょっと興奮。
カメラに切り替え記念撮影!
カシャ!

そう言えば他にもあった。
今日も時間が気になり、スマホ画面に目をやると…

つぶちゃんも、
僕の“内側”も、
メッセージをくれている!
[“交渉”は進んでいる。このまま進め!]
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