“つぶちゃんとの別れ”をキッカケに、僕にとって馴染み深いものとなった“8”という数字…。
つぶちゃんの命日が9月8日であったことが、僕と“8”とのご縁を深めてくれたわけである。
毎月巡ってくる“月命日”の8日を大切に想い、その“想い”をつぶちゃんに届ける…。
毎月8日は、僕にとって特別な日となっていた。
そして、
僕にとって数字の“8”は“つぶちゃん”となっていった。
スマホの画面で時間を確認するたびに“8”分が表示されていたり、つぶちゃんのお供えを買いに立ち寄ったお店の駐車場に“8”のナンバープレートをつけた車がポツンと止まっていたり…。
その度に、僕は感じるのである。
“繋がっている”と。
その頻度は増していき、
僕は“8”を与えられているのだと、実感するようになっていった。
“8”という数字は一般的に、縁起がよい数字ともてはやされている。
無限大♾️パワー
龍神パワー
末広がりのパワー等、
愛されている“数字”である。
僕もそんな意識を持ちながら日々つぶちゃんと向き合う中で、やがてその“認識”が都合よく解釈されている事に気づかされたのである。
つぶちゃんのお墓で向き合いながら、“ツインソウル計画”である“内側の浄化”に努める…。
しかし、
その“内側の浄化”はエンドレスなのである…。
一つ“浄化”して成長できたと思えば、また別の“汚れ”が現れる…。
それはまるで、
高校球児が汗まみれや泥まみれになりながら、千本ノックと向き合う姿と重なるのだ。
いつ終わるとも知れないこの“試練”を、
飛んでくるその“一球”と向き合い処理していく…。
そして、
その繰り返しが“成長”へと繋がっていくのである。
“苦しみ”があるからこそ、
それを乗り越えたとき“成長”することができるように、
“苦しみ”(しかめ面)と“成長”(笑顔)は、
まさに“ツインソウル”のように真逆の性質を持ちながらも表裏一体となって、その物事を“進化”させていくのである。
つぶちゃんの死は、
僕にとって“苦しみ”であった。
でも、
その“苦しみ”があったからこそ、
今の“成長”があるのである。
つぶちゃんは、“8”を通じてメッセージをくれている。
「拳ちゃん、“8”は無限大に続く“苦しみ”の連続であり、その“苦しみ”を乗り越える“成長”の連続なんだよ。気がつけば無限大の“成長”に辿り着けている。宇宙のような広大なパワー、宇宙愛を目指すんだよ!だから、拳ちゃんに“ツインソウル”がもたらされたんだよ。」
僕に与えられた“8”とは…
つぶちゃんからのエールであり、
僕の内側に宿る“魂”を成長させるという“責任”でもあるのだ。
スポーツ選手に背番号があるように、
スピリチュアリストに背番号があるならば、
“8”は魂を“優勝”に導く請負人の証なのである。
僕はその“背番号”を背負っている…。
その“責任”を果たす為、
この世を生きている。
また、
真摯に“それ”と向き合うからこそ、
“龍神様”は見守ってくれているのである。

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