昨年の10月に起きた、ある事件の記憶が甦る。
その事件とは…
公民館を借りて行われていたゴスペル愛好家たちの集まりの中に刃物を持った男が突入し、そこに居合わせた人たちを切りつけた傷害事件である。
この男は公民館の隣りに住んでおり、度々行われるゴスペルの歌声(騒音)に悩まされていた。
何度か苦情の申し立てをするも全く改善される事もなく、ついに凶行に走ってしまった。
方やキリスト教の“福音”に酔いしれて、自分たちの放つ歌声に苦しむ者が存在している事に気を向けることもなく、“愛のエネルギー”は暴走を続けたわけである。
“ゴスペル(愛)”が、“狂気(悪)”を目覚めさせたわけである。
“愛”の暴走が、“悪”を生み出したのである。
この世には“傷ついた者”たちも存在する。
“傷ついた者”たちにとって、“愛の光”は眩しすぎるのだ。
そんな時は、
“愛の光”を緩める必要もあるのである。
光を緩め、やさしく寄り添う…
そんな、
他を思いやる心こそが“真実の愛”なのである。
ゴスペルを気持ちよく歌うのも良いが、その根底には“愛”があるのか…
この事件がきっかけとなって、被害者も加害者も“真実の愛”に気づけたなら、この“事件”は大きな“成長”をもたらせてくれた出来事に変わるのである。
マイナスエネルギーから、
プラスのエネルギーへの変換。
雨降って…
地固まる。
それが、
“幸せ”への道。
今日も何処かでトラブルは起きている。
我々が“愛”に気づくまで、
それは延々と繰り返される。
それが、
“この世”の仕組みだから。

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