投稿数 300達成記念

このblogを立ち上げた当初は、何となく300くらい投稿できたらと思っていました。 

あわよくば、300回目で“ツインとの再会”を報告できたら…

そんな“希望”を持ちつつ自身の“内側”と向き合ってきましたが、“希望”は未だ叶わず僕の“旅”は続いています。

そんな300回目にどんな記事を書こうかと思いを巡らせていたら、前回の投稿からやや時が経ってしまいました。

そんな中で“閃いた”のが、

[映画 スラムドッグ$ミリオネア]

でした。

この作品については、過去に一度取り上げて投稿しているのですが、僕にとって“300”を飾るにふさわしい“ネタ”になるんじゃないかと感じたのでした。

そのキッカケとなったのが、女性の友達とコーヒータイムした時の会話でした。

「ねぇ、今まで観た映画で“コレは!”っていう作品は何かある?」

そんな唐突な質問に、

僕の“引き出し”に詰まった“思い出”たちを、すぐに摘み出すのは至難であった。

心打たれた作品は数多くあれど、敢えて僕の中での最高のお気に入りは…

残念ながら、その時は伝えることが出来なかった。

やがて時が経ったとき、

“もう一度観たいな…”

そう思わせた作品が

“スラムドッグ$ミリオネア”

であった。

この作品は劇場で2回、またDVDでも3回ほど観ている作品であった。

それでも、また観たいと思わせてくれる、僕にとっての“必需品”なのである。

今更ながら、“それ”に気づいたのであった。

「コレがあったか!この作品を伝えてあげたかったな…」

その湧き上がる感情をもう一度確認するかのように、DVDを棚から引っ張り出してセットした。

作品の良し悪しは、その時の自身の置かれた状況や、人間的な“成長具合”によっても変動する。

“今”の僕にとっては、間違いなくトップに輝く作品で間違いないはず。

今から始まる“おとぎ話”に、またしても期待を膨らませながら画面に食い入る。

冒頭は、こんなテロップから始まる…

“彼はあと1問でミリオネア

なぜ勝ち進めた?”

A He cheated(インチキした)

B He’s lucky (ツイていた)

C He’s a genius(天才だった)

D it is written(運命だった)

ストーリーはこんな感じである。

舞台はインド

主人公のジャマールは、TV番組のクイズミリオネアに出場が叶い、順調に勝ち進んでいく。

しかし、スラム育ちの学の無い青年が“答え”など解る筈がないと決めつけられて、警察に連行されてしまう。

あと1問でミリオネア達成なのに…

取り調べ室で拷問にかけながら、警察官はジャマールに問いかける。

「スラムドッグのお前が、”答え”など知る筈がない。不正を白状しろ!」

すると、ジャマールはこう答えた…

「貧困を生きてきた中に、“答え”があったんだ…」

警察官の取り調べの進行と同時に、ジャマールの育った環境、また生い立ち、そしてミリオネアに向けたクイズ番組の進行がフラッシュバックされ、見事に絡み合いながら物語は進んでゆく。

そしてジャマールが人気番組である“クイズミリオネア”に応募した理由こそが、生き別れとなってしまった“片割れ”に自分の存在を気づいてもらうためであった。

“彼女ならきっと、番組を観てくれるはずだ。”

そして、

物語は“フィナーレ”へと突き進む!

果たして、“ミリオネア獲得”は果たせるのか…

“彼女”との再会は果たせるのか…

と、こんな感じでしょうか。

また、この作品への“思い入れ”が強い理由として、作品の出来の良さだけではなく、作品の中で映し出される“エピソード”が自分の“経験”とシンクロしている部分が多いこと…。

それも大きな“理由”である。

幼少時代に主人公のジャマールが、糞尿の溜め池にドボンしてしまい、それにまみれてしまうシーン…

僕も幼少時代に竹林の中に掘られた落とし穴に落ちてしまい、そこは何と汲み取られた糞尿を埋める穴であった為、見事に糞尿まみれになったこと。

また同じく、

ジャマールが映画好きで、憧れのスターからサインをゲットして有頂天になるシーン…

僕も幼い頃、憧れのメル・ギブソンからサインを頂き有頂天になったこと。

そして、

この作品の中でジャマールを“ミリオネア”へと導く“答え”が、自身が貧困の中を生きてきた中での“気づき”であったこと…

僕自身も“ツインソウル計画”を生きる中で、幼少から見続けてきた映画の作品の数々の中に、その“計画”を推し進める方向性やアドバイスが隠されていた事実。

更に“ツインソウル”の苦しみと向き合う中で、“ツインソウルとの統合”とはパックリと口を開けた傷口が、自浄能力や再生力、新陳代謝をフル稼働しながら新しい細胞を創り出し、元の姿に戻ろうとするようなものなのではないだろうか…。

そう理解が及んだとき、この作品の中にも“それ”を裏付けるかのような象徴的なシーンがある事に気づいたのである。

この作品は、

“ツインソウルの統合”を描いているのではないだろうか…

そんな気持ちにもさせられ、

僕に勇気と希望を与えてくれる…

そして、

“今”の僕と“シンクロ”する、

僕への“エール”なのである。

テレビから流れる“ドラマ”は、

いよいよクライマックスへと突入する。

すると、

その“波動”に引き寄せられるかのように、

ネコニャンが僕の前に現れた。

そこに腰をおろすと、

ネコニャンも画面を見入っている。

そんなネコニャンの姿と、テレビ画面の中で進行する“愛の姿”を丸ごと包み込みながら、同じ空間にいる“幸せ”を噛み締めるのであった。

やがて、画面がエンドロールに切り替わると、ネコニャンは餌に向かってまっしぐらでした。

そして、

最後に画面に浮かぶテロップ

D it is written

命に刻まれたシナリオ

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