“向き合う”

僕は度々、このblogの中で“向き合う”という表現を用いる。

この“向き合う”ということ、

それこそが“合掌”なのである。

それは、

自分の“想い”と、

“想いを馳せる対象”とを“向き合わせる”のである。

その“形”となったものが、

左手と右手を合わせた“合掌”である。

そして、

左右合わせた手の平の“内側”に宿るエネルギーこそが、我々の中に広がる“宇宙”なのである。

僕がよく使う“内側”という、一般的には“心”や“想い”と呼ばれる領域である。

“そこ”には、隠すことの出来ない“全て”が存在している。

他人には到底見せることのできない“自身の汚れ”や、逆に是非見てもらいたい“自身の輝き“も全てが“そこ”に在るのだ。

以前、

“かくれんぼ”というタイトルでも投稿しましたが、お墓やお仏壇に向かって“合掌”したとき、果たして“想いを送る相手”はどこに存在しているのだろうか…。

そんな疑問が、心に浮かぶこともあるでしょう。

お墓の中…?

それとも

お仏壇の中…?

いや、

もしかしたら空かな…?

答えは謎のまま、 

「この“想い”が届くといいな」

そう信じて“合掌”します。

答えは、

合わせた手の平の“内側”に存在するのです。

合わせた手の平の“内側”とは、あなたの“想い”と“相手の想い”が融合する宇宙。

片手が“あなたの想い”、

もう片方の手が“相手の想い”

二つの“想い”が混じり合った“心”という、あなたの“宇宙”なのである。

よって、

あなたの探している“想いを送る相手”は、

あなたと一緒にいつも“心の中”にいるのです。

だからこそ、

常に“心”を凪に保たなくてはいけない。

なぜなら、

あなたの心が“波立つ”と、

あなたも“苦しい”が、

“大切な人”もあなたの中で苦しむから…。

一緒に“笑顔”でいられるように、

“怒り”から解放された生き方を目指すのである。

それを可能にしてくれるアイテムこそが、

“愛”なのである。

“利他の愛”

“赦す愛”

そんな愛で“内側”が満たされれば、

あなたも“大切な人”もニコニコなのである。

我々の“心の中”が“故人”の居場所であるならば、“お仏壇もお墓も必要ないじゃないか”と思われるかも知れませんが、そうではありません。

お仏壇やお墓の“存在”こそが、

あなたを“そこ”へと導く“灯台”なのだから。

しっかりと“向き合い”、

これからもたくさん“会話”して欲しい。

やがて“アンテナ”は成長し、

“メッセージ”を受信できるから。

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