この目に映る景色(現実世界)は、
僕の“命の景色“である。
その“景色”を生きながら、
喜びも、
悲しみも、
愛も、
憎しみも体験していく。
その僕の生きる“命の道”は、
まるで“迷路”の入り口のように“二つ”に分かれる。
“怒り”を選択する道と、
“愛”を選択する道に。
“怒り”の道を選択すれば、
希望通りに“戦い”の人生となっていく。
そして、
“愛”の道を選択したならば、
僕の人生は“愛”の人生となっていく。
もちろん、
“愛”に満ちた人生(景色)がいいに決まっている。
だったら“愛”で生きればよい。
そうすれば、
“この景色”は“愛の景色”となっていく。
たとえ僕が猫ちゃんをはねてしまっても、
その景色は“愛の景色”なのである。
“愛の世界”の中での“出来事”なのだ。
その猫ちゃんは“愛”に包まれているのだ。
自分の内側が“愛で生きる”と決めたとき、
僕にとってのこの世の中の“景色”は、
すべて“愛の景色”なのである。
一見、内側を波立たせる“出来事”も、
すべて“愛”の中で起きている“出来事”なのである。
やがて、“愛”が“それ”を鎮めてくれる。
今日、つぶちゃんと向き合いながら…
同時に、
僕の“内側”と並行して向き合っていると…
やっと自分の中で、
“それ”が溶け込んでいった感覚を覚えた。
別の表現をするならば、
僕の内側の“迷路”を抜けたという実感。
そして、
その“愛の世界”の中で、
(僕の人生の中で)
“ツインソウル”を明確に感じるのであった。
“迷路”の出口に立つ僕に、
更にその先から“手招き”を感じる…
“もっと先に進むのよ…”と。

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