人間という生き物は、“肉体”と“精神”で成り立つ。
有形の“肉体”と無形の“精神”…
この“二つのエネルギー”は、
“ツインソウル”の目指す“陰陽統合”の性質と同じである。
この“二つ”がバランスよく整ったとき、ちょっとやそっとでは動じない“不動心”となるのである。
先日、ボクシング好きの僕にとっての待望の日を迎えた。
日本中の“待望”と言っても過言ではないかも知れない。
井上尚弥選手のタイトル防衛戦である。
今回の対戦相手は、過去に日本で二度タイトルマッチ経験のあるルイス・ネリ選手。
その時の試合でこの選手は、体重超過や使用禁止薬物などでチャンピオンシップを汚し、当時チャンピオンであった山中慎介選手のボクシング人生を奪った“日本の敵”でもあった。
そんなストーリーも手伝って、東京ドームの熱気はテレビ画面からでも充分に伝わった。
結果は、
1Rに井上尚弥選手のまさかのダウンがあったものの、それで目が覚めたかの様な井上選手の圧勝となった。
その興奮は、僕から簡単に離れることはなく、しばらくはネットに流れる動画で余韻に浸った。
そんな中で、
試合の展開に添いながら、両選手のテクニックをわかりやすく解説している動画に行き着いた。
試合中の両者の動きをスローモーションを交えて、わかりやすく伝えていた。
なるほど…。
その高い技術に納得した。
井上選手の“動き”は決して“場当たり的”なものではなく、様々なシチュエーションを想定し、更にどんな場面にも対応できる“身体の動き”を何度も何度も“反復練習”で身体に覚え込ませて、その防御と攻撃が一体となった“引き出し”となっているのである。
予想を超えた“流れ”さえにも対応できる、井上尚弥選手の無限大の“引き出し”となっているのだ。
ドラえもんのポケットのように。
我々も、
“この世を生きる”とは“闘い”である。
井上尚弥選手の姿に“勇気”をもらい、
日々の生活を鼓舞する人も多いのではないだろうか。
時に挫けそうになったり、
怒りに支配され、
自暴自棄に陥ってしまったり…
そんな状況に身を置く人に対しても、
井上尚弥選手のあの試合はメッセージを含んでいる。
1Rのあのダウン…
そして、
ダウンから起きあがろうとした時の、
あの時の井上選手の“目”である。
決して慌てることなく、
冷静(凪)を保つ…。
試合が再開されたのち、ネリ選手の嵐の攻撃を冷静に対処する。
並の選手であるならば、
“驚き”や“恐怖”、“焦り”となって、
“感情”が波立ってしまう場面である。
そんな場面でも内側を“凪”に保ち回復に努め、もう一度展開を組み立て直した“スキル”の高さは、一般人の我々にとっての“生き方”にも通じるものがある。
我々も生きる中で、
時に“心のバランス”を失うときがある。
“バランス”を失いヘタレ込んだとしても、
井上尚弥選手のように立ち上がらなくてはならない。
心を“凪”に保ちながら、
“何ごとも無かった”ように…。
それは“自信”があるからできるのである。
井上尚弥選手でいうならば、
ボクシングに対する“肉体的”、
そして“精神的”な“二つの自信”である。
では、我々がこの日常を生きる中で持つべき“自信”とは何なのか…。
それは、
“愛”が自信となるのである。
“利他の愛”である。
自分が多少の犠牲を払ったとしても、
相手を守ったり赦すことができる“愛”である。
すなわち、
“エゴ”からの脱却なのである。
それが備わったとき、
どんな“波風”にも動じない、
“不動心”が備わるのである。
きっと井上尚弥選手も、
対戦相手を“理解”できているからこそ、
“不動心”を発揮できるのではないだろうか。
自分という“エゴ”を手放し、相手を“受け入れ”ながら試合を組み立てる。
“自分”という“モンスター”を律することが出来るからこそ、井上尚弥選手は真の“モンスター”なのではないだろうか。
我々も生きる中で、“荒波”に飲まれる時もある。
そんな時、
“不動心”でいられるように、
日頃から“意識”に刷り込まなければいけない。
ボクサーが反復練習で、動きを身体に覚え込ませるように。
大丈夫。
僕には“愛”が備わっている。
この“愛”があれば、
どんな“ピンチ”だって切り抜けられる。
そんな“自信”を持てるように、
日頃から“愛”を磨いて生きるのである。
井上尚弥選手の素晴らしい試合内容に、
そんな“想い”に駆られたのである。

コメントを残す