僕を取り巻く“この環境”すべてが、
僕の“命の景色”である。
それら全てを“受け入れ”て、
僕はその“景色”の中を生きていく…。
喜びも悲しみも…
“愛”も“怒り”も生み出しながら…。
この“命の景色”を生きるなかで、
僕の内側が“波立ち”そうになったとき、
その“出来事”こそが、
僕の“命の抱えた宿題”なのである。
“命の宿題”
すなわち、
“魂の傷”である。
そこで“感情の波”に飲まれるのではなく、
これが“命の宿題”なのだと受け入れるのである。
そして、
“波立つ心”を“凪”に保つのだ。
それは“我慢する”という意味ではなく、
心を波立たせる対象に対して“歩み寄り”、
相手の立場に立って“理解に努める”のである。
それができたとき、
“波立つ内側”は“凪”へと向かう。
すなわち、
“魂の傷”
“命の宿題”は解消へと向かうのである。
長く彷徨った[内側の迷路]から脱出できたとき、僕は気づくことができたのであった。
僕が生きる中で現れる“イラつかせる出来事”たちは、“ツインソウルからの手招き”だったことに。
「この“宿題”を片付けて、その先へと進むんだよ。そして、次の“宿題”も片付けてその先に…。」
その“宿題たち”の先で、
“彼女”は僕の到着を待っている。
そう。
“魂の傷”が癒えた先こそが、
“再会”という“約束の場所”なのである。
“魂の双子”はチカラを合わせて、
“それ”を成長へと向かわせている。
“僕”と“彼女”いう、“モビルスーツ”に乗り込んで。
これは“ツインソウル計画”といわなくても、全ての人たちにも当てはまることである。
“成長”に向けて生きるという、
誰もが抱えた“使命”なのだ。
しかし、
“ツインソウル計画”ともなると、
一般的な“それ”とは様相が異なる。
何が違うのか…
それは、
“気概”が違うのである。
何が何でも辿り着かなくては…
“命懸け”なのである。
だから、
重苦しいのだ。
後ろには下がれない、
“大きなもの”が背中を押すのだ。
まるで、最高峰の雪山の頂上を目指すかのような…
“生きるか死ぬか”の状況に、
僕の内側は置かれている。
それでも“前進”できているのは、
“僕を取り巻く環境”のおかげである。
みんな、ありがとう。

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