命拾いくん。

今日はスケジュールが立て込んでおり、日課である“つぶちゃんとの向き合い”を、いかに心穏やかに保ちながらできるかが試される。

どうしても、予定が詰まっている時は心(内側)は波立ちやすい。

あれもしなきゃ…

これもしなきゃ…

そんな状況におかれても、

決して“感情の波”に飲まれることなく、

“内側”を凪に保ちながら、

“愛のエネルギー”で満たしていく。 

これが“内側の浄化”の基本である。

僕を取り巻くスケジュールに飲み込まれる事なく、僕は“今”に集中する。

つぶちゃんのお墓の供花の水を交換したり、ローソク立てのガラスを洗ったりしながら“向き合う”を準備を進めていく。

次にお供えの水を交換しようと容器に視線を移すと、その中で小さな“何か”が浮いていた。

なんだろう…?

水面に指先を入れてすくってみると…

小さなハエの赤ちゃんが浮いていた。

死んじゃってる…?

基本、

つぶちゃんのお墓で亡くなっている“命”に対しては、僕は供養を施し弔うことにしている。

よりによって、この忙しい時にこういう事態が起きることも、また僕は“試されている”のである。

“さぁ、どーする?”って…。

もちろん、

予定は詰まっていようとも、

この亡骸に対して読経を勤めてあげたい。

この暑さの中、

水を求めてお供えの水に辿り着くも、

残念ながら溺れてしまったハエちゃんに、

せめて慰めと癒しを与えてあげたい。

そう決心した矢先、

僕の指先に乗っかった“命”は動き出したではないか!

よかった。

救ってあげられた。

その“命”は飛び立つことなく、

いつまでも僕の手の上を走り回っていた。

ポケットからスマホを取り出して、その“愛嬌”の撮影を始めた。

いつしか時間は10分、15分と経過していく…。

この忙しい時とはいえ、

この“ご縁”はつぶちゃんがもたらせてくれたもの。

この“瞬間”を味わうのだ。

それでも、

一向に降りようとしないハエをどうするべきか…。

離れたくないハエを虫カゴへと移し、

僕はこう伝えた。

「あとでゆっくり話そう。ここで待っててね。」

“つぶちゃんメッセンジャー”は、虫カゴの中を元気に動き回っていた。

安心…

安心…

生きててよかった。

そんな、

今日の一日の始まりでした。

そして夜となり、

スケジュールをこなして虫カゴを除いてみると、ハエちゃんは元気に動き回っていた。

指先を入れてみたら早速登って来たけど、

「今日は暗いからまた明日ね。」

そう伝えながら、葉っぱの上に乗せてカゴの中に戻した。

“ハエを飼う”

これもボクらしくていいかも。

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