今日は10月8日。
つぶちゃんの月命日である。
先月の9月8日の命日をスタートとして、
また来年の命日に向けて一歩前進といったところか。
と言っても日々向き合っているわけで、
ここまでくると“命日”の持つ意味も、
僕にとってはもう重要ではないのかも知れない。
“いつも一緒”
なのだから。
それでも、
“命日”には“彩り”をつけたいと思うということは、それだけ僕にとって“大切な存在”なのである。
そして、
つぶちゃんは“その想い”にちゃんと答えてくれるのである。
例えば、
つぶちゃんのお墓で読経を勤めるとき、
例え雨が降っていても“一時停止”されるのである。
つぶちゃんが亡くなって供養が始まり、
今に至るまで15年間“それ”は維持され続けている。
つぶちゃんと僕の“つながり”は、
この世の“不思議”なのである。
そして今日、
つぶちゃんの月命日の読経を勤める為にお墓に出向くと、墓石の前で一匹のカタツムリが迎えてくれた。
その姿に、
“待ってたよ”
そんなメッセージを感じる。

カタツムリちゃんがヤケドしないように少しずらして線香を立てると、僕は読経を始めた。
そして、
読経を終えて、
目を瞑り、
あらためて“想い”を伝える…。
“ありがとう”
そして目を開けると…
先ほどまでじっとしていたカタツムリが、
移動を始めたではないかっ!

まるで読経が終わって“おひらき”を意味するかのように、カタツムリは“その場”から去っていった。
ゆっくりと去っていく“つぶちゃんメッセンジャー”に向けて、“来てくれてありがとう”と想いを伝えた。
今日もいい“供養”ができた。
それが、
今日の“不思議”である。
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