幼い頃から映画に慣れ親しみ、様々な作品と出会う中で、僕の心に刻まれた思い出深い“シーン”の数々…
その先の未来で、
僕は“ツインソウル”という存在に出会う事となる。
そして始まった、
僕の“内側の浄化”という闘い。
“ツインソウル”という存在が僕にもたらした、僕を“成長”へと導くプロセス。
僕はその“向き合い”の中で、
“汚れた自分”と向き合うという、
奥深い“苦しみ”を味わうこととなる。
逃げ道を失い、
ただ前に進むしか、
この“苦しみ”から抜け出す方法はない。
しかし、
一向に“光”は見えてこない…
これが、
僕が体験中である“ツインソウル計画”の概要である。
そして、
そんな“苦しみ”の中にいる僕に対して、抜け出す“希望”と“ヒント”を与えてくれたのが、
過去に観た映画作品の中で、僕の心に刻まれた“お気に入りのシーンの数々”であった。
この時の為に、
あの時の“感動”はあったのか!
そこに気づくと、
まるで“伏線回収”するかのように、
僕の“ツインソウル計画”は進んでいくこととなる。
自分の内側に生息する“エゴモンスター”、
または“ラスボス”に辿りついたとき、
僕は“勝ち目のない闘い”を悟ることとなる。
まるで、
映画[エベレスト]の作品の中に観たように、
エベレスト登頂を目指す一行が、天候の変化という“悪魔”に飲み込まれていくような…
そんな“絶望”である。

“ツインソウルからの手招き”に辿り着くことは無理かも知れない…
そんな“絶望”の中、
つぶちゃんはメッセージをくれる。
“一歩前に出るんだよ”
その声なき“エール”に背中を押されながら、
僕の“登頂へのチャレンジ”は続いている。
そんな僕の“もがき苦しむ姿”を象徴していたのが、映画[エクソシスト]に登場する“カラス神父”であることに気づくのであった。
作品では、少女に憑依した“悪魔”との対決を軸に、それと並行して“悪魔払い”に携わることとなる若き神父(カラス神父)の苦悩を見事に描き出しているのである。
また、
カラス神父のキャラクター設定も、僕と重なるところが多く見られるのである。
信仰心の揺らぎ…
母親に対する後悔の念…
それらの苦悩から逃げるかのように打ち込むボクシング…
そんなカラス神父の姿と僕の“今”が重なったとき、僕はもう一度[エクソシスト]という作品と向き合う為にDVDをセットした。
人生の中で、何度も何度も観た作品である。
しかし、
今回は作品を鑑賞するのではない。
カラス神父(僕の映し鏡の姿)に会いに行くのだ。
そこに“気づき”があるかも知れない…
テレビ画面の中で、
物語は進んでいく。
作品を観て感じること…
まずは、悪魔に取り憑かれた少女の母親である。
娘への心配は当然としても、発する言葉に愛や感謝を感じることができず、やがて犠牲になって命を落とす事となる神父たちに対しての労いもない。
女優という職業設定である為か、エゴが強く映し出されている。
そんな母親に懇願されて、最初は反対していた“悪魔払い”を引き受ける事となったカラス神父…
やがて物語は、“悪魔払い”の時を迎える。
ベテランの老神父メリン神父と、
助手に当たるカラス神父の二人で儀式は行われることに。

二人の神父が少女のいる部屋の前に立ち、その大きな扉を開けたとき…
僕は感じたのである。
この扉の中こそが、
僕の“内側の景色”なんだと…
その中へと、二人の神父はゆっくり入っていく…
映し出される“部屋の中”の様子…
ベッドの上で縛りつけられた少女の姿は、見るに耐え難いおぞましい姿に変貌を遂げて、口汚い言葉で神父を罵倒する。

“悪魔払い”が始まると、いよいよ“部屋の中”は戦場と化す。
「これが僕の“今の状態”なんだ…」
そして物語は、クライマックスを迎える。
メリン神父が絶命したとき、
カラス神父の内側から込み上げる“怒り”のエネルギー…
カラス神父は少女に馬乗りになり、その“怒り”を拳に乗せて殴りつける。
「オレに乗り移ってみろ!」
すると…
カラス神父の表情が“怒り”から“苦痛”へと変わり歪む…

たちまちカラス神父の表情が、“悪魔”のそれに変化を始めると…
カラス神父は“それ”を道連れにガラス窓を突き破り、外の石段を転げ落ちて命の幕を閉じた。
果たして、
カラス神父は“悪魔”もろとも命を絶ったのだろうか…
少女からの“悪魔払い”は成功したのだろうか…
以前はそんな、“うやむや”な感が消えることは無かったが、“ツインソウル計画”を遂行するなかで僕は“答え”に辿りついた。
“悪魔”とは、
我々が宿した“魂”の傷。
その“傷”に気づき、
“治療”と向き合うことができたとき、
自分の中の“悪魔”と対峙することとなる。
そして“魂の傷”が癒えたとき、
それが“魂の喜び”であり、
[神の祝福]なのである。
誰の中にも“悪魔”は存在する。
皆、それを見て見ぬフリをしている。
僕もそうやって生きてきた。
しかし、
“ツインソウル”という存在が、
人間がここに存在する理由と“使命”を気づかせてくれた。
我々、人間の使命…
それは、内側に宿した“魂の傷”を癒し、魂に刻まれた“悪しきデータ”を書き換えること。
“魂の傷”は我々が生きる中で、怒りや憎しみや悲しみ、不安や恐怖や絶望といった“出来事”や“人物”となって現れる。
それらと対峙したとき、怒りや憎しみで対応していたら“繰り返し”なのである。
その“魂の悪しき記憶”を書き換えるために、そんな時は“愛ある対応”を心がけるのである。
それができたとき、
“命の宿題”は一つ消え、
“魂の傷”は癒えていくのである。
“魂の更新・レベルアップ”
これこそが、
我々人間の生きる“使命”なのである。
そして、
これこそが、
“悪魔払い”の真髄なのだ。
悪魔とは“払う”ものではない。
自身の中で“癒す”ものなのである。
そこが、
カラス神父と僕の“違い”であった。
カラス神父は少女の“悪魔払い”を通じて、
自分の中の“悪魔”と向き合わされたのだ。
僕が“ツインソウル”と出会い、
自分の中の“悪魔”と向き合わされたように…
“ツインソウル”
それは魂の双子…
陰と陽の
“天使と悪魔”なのである。
そして、
僕はまだ生きている。
闘いは続いていく…。
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