映画 アクト・オブ・キリング

2014年に日本で公開されたドキュメンタリー作品である。

1965年に起きたクーデターによって、当時のインドネシア大統領は失脚へと追い込まれた。

その事件を機に始まった、右派によるインドネシア共産党員への大虐殺行為。

100万人以上が犠牲になったといわれる。

その大虐殺の担い手となった“ 一人の男”に焦点を当てて、この作品は進んでいく。

配給元 トランスフォーマー

写真中央のカチンコの向こう側に立つ、白いスーツに身を包む男…

このヤクザな男が、このドキュメントの主人公である。

この男はインタビューに対して、自分の犯した蛮行を誇らしげに語り続ける。

殺害手口を延々と…

その話しっぷりは、まさに国を守った“英雄”である。

そこで、この作品の作者は“提案”した。

「自分たちのしてきた“行動”を、映画として撮影しないか?」

そんな流れでこの作品は、“映画の撮影風景”と“彼らの武勇伝”のインタビューによって構成されている。

ただ、“事実”と異なるのは、

男が演じるのは“殺される側”であるということ…

被害者を演じる男に対する拷問シーンもリアリティを求められ、その時の“空気”を創り上げていく。

撮影が進むにつれて、映画俳優気取りであった男に“変化”が現れることになる。

国を共産主義から守った“英雄”である筈の“自分”が、被害者を演じることにより揺らぎ始めたのである。

被害者感情が芽生え始めたのであった。

“自分の犯した行為は、間違いだったのだろうか…”

苦悶を浮かべる男に対して、彼の仲間は慰めを言う。

「そんなに思い詰めるな。俺たちの行為があったからこそ、今の国があるんじゃないか。」

やがて撮影は、男が犯した“殺害風景”へと進んでいく。

すると、

男は突然泣き崩れ、

「もう撮影を続けられない…」

そんな弱音を吐くと、

男は精魂尽き果てたように立ちつくす…。

「苦しすぎる…」

「こんな苦しみには、もう耐えられない。俺が殺した連中も、こんな苦しみを味わったのか…」

すると、

カメラを構える作者は言った。

「それ以上ですよ。」

「彼らは恐怖に支配されながら、命を奪われていった。」

「あなたはただ、“演じている”だけなんですよ。」

男は逃げるように席を立つも、ただ茫然と立ち尽くし、自分の内側に広がる“闇”に飲み込まれていくしかなかった。

この作品を劇場に観に行った時は、まだ“ツインソウル ”という存在に気づく前であった。

やがて“ツインソウル”という存在に気づかされ、“それ”は自分と向き合う“鏡”となって、僕は“内側と向き合い”苦しんだ。

先日、この作品をPrime videoで発見し、

“今”再び観る事となり、

この男の“苦悩”と、

僕の“苦悩”が重なるのであった。

もちろん、

この男の犯した“罪と闇”に比べれば、

僕の“汚れ”なんて可愛いものである。

しかし、

お互いに“鏡”によって、

自分自身と“向き合わされた”という事実が、

この作品をより感慨深いものにしているのである。

新年早々、心の中がナーバスに傾くも、

そんな時はちゃんと現れてくれる。

つぶちゃんと向き合っていると…

“ここだよ…”

そんな音もなきメッセージに意識を引っ張られて、“そちら”へと視線を送ると…

あった!

“つぶちゃんオーラだ!”

早速、ポケットからスマホを取り出し、

新年の記念撮影をカシャ!

ネコニャンが膝を好んでくつろぐように、“つぶちゃんオーラ”も膝に乗っかって輝いていた。

そう。

僕にはつぶちゃんがいる。

“信じて進め!”

そうやって、自信を回復させてくれるのである。

ありがとう、つぶちゃん。

今年も宜しくお願いします。

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