1月8日 月命日

今年も初となる、つぶちゃんの月命日を迎えた。

心を穏やかに保ちながら、

つぶちゃんの供養の準備を進めていく。

お供えを用意し、

お花の水を変えて…

一つ、

また一つと、

読経を勤める“その時”へと向かう。

自分の“内側”と向き合いながら、

心の状態を確認しながら、

僕は正装へと辿り着く。

法衣に着替え終えると、

いよいよ“想い”を読経に乗せて届ける時がやってきた。

内側の“凪”を保ちながら、

この時を迎えることができた事に、

僕は感謝しながら読経を始めた。

途中、僕は“異変”を感じて読経を止める事となる。

それは、

近所に暮らす痴呆症を抱えるおばあちゃんが、我が家に上がり込んでいたのである。

靴も履かず、

靴下のまま歩いて来ていた。

一旦、お勤めを中断し、

おばあちゃんを自宅まで送り届けた。

過去の僕であるならば、

大切なつぶちゃんの供養に水をさされた事で、内側が波だっていたであろう。

しかし、

“つぶちゃんとの向き合い”や“ツインソウルとの向き合い”は、僕を大きく成長させてくれたものである。

あくまでも淡々と、

今すべき事を“心穏やか”にこなしていけるようになっている。

おばあちゃんを送り届けると、僕は仕切り直して読経を再開した。

この“出来事”もまた、

つぶちゃんの供養へと繋がるのである。

僕は、この“出来事”のもつ意味を感じてみることにした。

つぶちゃんの供養に、引き寄せられるかの様に現れたおばあちゃん…。

おばあちゃんの姿は不安や困惑に支配され、どこへ向かうべきか彷徨っている。

それは、供養を施されているつぶちゃんのところにやってくる、未成仏なエネルギーにも感じるのであった。

「私も供養して…」

そんな“想いのエネルギー”が、

おばあちゃんの“姿”となって…

いつも言っているが、外側の“景色”は僕の内側の“状態”が映し出されているのである。

つぶちゃんの供養を通じて、

僕は内側の“魂の傷”を癒している。

それが僕の成長に繋がっている。

今回、我が家に上がり込んで来たおばあちゃんの姿とは、僕の内側に宿る“魂の傷”の姿なのだろう。

“こっちの傷も癒してね”

そんな“メッセージ”の現れなのである。

僕の魂は“傷だらけ”なのだ。

だからこそ、

“ツインソウル”は手招きしている。

「この“傷”を癒して、“ここ”を目指すんだよ!」

「“ここ”で待ってるからね!」と…。

僕は心を穏やかに保ちながら、

今回の“宿題”を片付けることができた。

間違いなく“そこ”に近づけている。

そう感じるのだ。

今日も納得の供養ができた。

つぶちゃん、ありがとう。

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