前回の投稿に続き、
僕は“内側の浄化の旅”を続けてきた中で、
“ツインソウル”という存在の理解に至った。
一体、
“ツインソウル”の彼女という存在は、
僕にとっての“何”だったのかが。
この“外側の景色”は、僕の“内側のエネルギー”の現れ。
僕の内側は“映写機”となって、
外側の“スクリーン”にドラマを映し出す。
“僕”というドラマを。
そんな中で出会った“ツインソウル”という存在は、僕の内側に宿る“愛の輝き”の現れ。
しかし、
僕の中に宿るその“愛の輝き”は、
怒りや憎しみ、不安や恐怖やエゴといった“負のエネルギー”に飲み込まれ、“光”を失った状態となっている。
その“内側の状態”が、
僕の前に現れた“ツインソウル”という存在だったのだ。
結ばれたいのに、結ばれることができない、
大きな“壁”に遮られた“魂の双子”となって…。
二人の“統合”を遮る“障害”こそが、
僕の中に宿る“負のエネルギー”なのである。
僕が出会った“ツインソウル”の彼女の存在とは、僕の中の“悪魔”に支配された、僕の中の“愛の輝き”の現れであったのだ。
すなわち、
“ツインソウル”の彼女との向き合いは、
僕の中の“悪魔”との“向き合い”であったのだ。

だからこそ、
“ツインソウル”の彼女と向き合うたびに、
僕の中の“野獣”が目を覚ますのである。
欲望に駆り立てられ…
怒りに支配され…
爆発しそうなほどに、
その“エネルギー”は膨張していく。
“ツインソウルの彼女”という“僕の中の悪魔”の姿と、僕の中に宿る“負のエネルギー”が共鳴して。
それでも、
僕の中の“愛の輝き”は、
“負のエネルギーの土石流”に飲み込まれながらもSOSを送っている。
“愛を輝かせるんだ!”
“Help me!”と…

結局、
出会った“ツインソウル”という存在は、
“愛の輝き”を失った“僕の姿”であったのだ。
そして、
その“愛の輝き”を取り戻すために、
僕は“内側の汚れ”と向き合ってきたのだ。
瓦礫に埋もれた“愛の輝き”を救出すべく、
その“撤去作業”に苦しんでいるのだ。
必ず救い出す…
“愛の輝き”を。
その“愛の輝き”こそが、
僕との統合を待ち侘びる“ツインソウル”の姿となるのだから。
“僕たち”は、
今だに街中で遭遇するチャンスを与えられている。
これはお互いの“魂”が、
今もなお“再会”に向けて“共鳴”している証。
しかし、
僕は彼女に気づけるのに、
彼女は僕に気づけない…
この違いはどうしたことか。
それは、
“目覚め”ているか、いないかの違い。
“目覚め”とは、
“使命”に気づくか、気づけないかの違い。
僕は“使命”に気づかされ、
“負のエネルギー”と向き合い、
“魂の傷”を治療しながら“次元上昇”し、
そこから“彼女”を見つめている。
(映画 インターステラーのクライマックスシーンのように)
しかし、
“彼女”はこの“三次元世界”をベッタリと生き、“幸せ”な家庭に囲まれた世界を生きている。
だから、
“彼女”には僕が映らないのである。
そして、
[“彼女”の幸せに囲まれた家庭]という“囲い”こそが、僕の内側の“負のエネルギー”が生み出した景色なのである。
すなわち、
僕の“闇”が“彼女”を包みこみ…
そして、
“彼女”を“盲目”にしているのである。
だからこそ、
内側の“負のエネルギー”を浄化し、
“愛の輝き”を取り戻すのである。
“愛の輝き”を取り戻すことができたとき、
僕の前に現れた“ツインソウル”の彼女(僕の悪魔の姿)は消えていく。
“悪魔”は“愛の輝き”によって“浄化”されるのだ。
さ・よ・う・な・ら
もう、そこには執着はない。
感謝でお別れできる。
僕の意識がこの境地に辿り着くことができたとき、僕は“ゴール”が見えた気がしたのである。
でも大丈夫。
僕の“愛の輝き”の中で“彼女”は浄化され、
再び“彼女”は僕の前に現れる。
今度は“統合”する準備が整った“彼女”となって…。
“ツインソウル”との出会いとは、
“自分との向き合い”を通して、
自分を成長させるミッション。
と同時に、
魂を成長させ、
輝かせるミッション。
そして、
同様の事が“彼女”にも起きるのだ。
この“ミッション”は、
“映し鏡”だから。

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