つぶちゃんとの旅

日々のつぶちゃんのお墓での[向き合い]は、僕の精神性を高めてくれた。

向き合う中で、[気づき]と[成長]を促してくれた。

これは、[つぶちゃんと僕の旅]なのである。

もちろんゴールは[龍宮城]。

[魂の片割れ]の待つ場所である。

つぶちゃんのお墓で向き合っている時でさえ、そんな僕を取り巻く三次元の環境は変化している。

てんとう虫が現れて膝に着陸し、しばらく同じ時間を過ごしたり…。

てんとう虫が飛び立つと、今度はセールスの女性が訪ねて来たり…。

空を見上げると、[つぶちゃんオーラ]が現れていたり…。

そんな流動する[環境]の中で、僕はパイプ椅子に腰掛けてポツンと向き合っているのだ。

[向き合う]にあたり、心を穏やかに保つ事は重要である。

しかし、僕を取り囲む[環境]は、そんな僕の都合ばかりに配慮してはくれない。

時には近所のちびっ子たちの金切り声が、僕の内側を掻きむしる時もある。

騒音や雑音で、集中できない時もあるのである。

そんな時、つぶちゃんはメッセージを伝えてくれる。

つぶちゃんとの[向き合い]は、つぶちゃんといっしょに[龍宮城]を目指す旅。

[龍宮城]…

そこで待つ、魂の片割れのもとへ…。

つぶちゃんと向き合いながら、僕はつぶちゃんの導きのもと、四次元(想念)世界をゴールに向けて旅している。

そして、その四次元世界の景色は、同時進行している三次元(現実)世界に映し出されている。

[拳ちゃん、ボクと向き合っているときに心が波立つという事は、それはボクと拳ちゃんの旅の道中の[乱気流]のようなもの。その[乱気流]こそが、ボクと拳ちゃんの旅の[宿題]でもあるんだよ。

その[乱気流]を浄化して抜けたとき、ゴールへと[道]は続いていくよ。」

つぶちゃんは、そんな大きな気づきを与えてくれた。

この三次元世界は、四次元という上の次元と同時進行しており、四次元の想念が[形]となって現れているのである。

その現れた[形]を体験、経験しながら、想念を穏やかなものに変えていくのである。

それが、真の[生きる]という意味なのである。

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