近頃では、[墓じまい]という言葉を耳にする事が多くなった。
先祖のお墓を無くしてしまう行為。
理由も様々である。
家の跡継ぎが無く、無縁仏となってしまうケース。
物理的に墓が遠い場所にあり、管理が難しいケース。
そんな、やむを得ない理由に便乗するかの様に、墓も身近にあり、跡継ぎもあるにもかかわらず、[墓じまい]を希望する傾向がある。
理由を尋ねると、自分が去った後に跡継ぎに[負担]をかけさせたくないから。
[負担] …
先祖供養が[負担]になると言うならば、先祖という存在は[負の遺産]という事になる。
[感謝]とは程遠い発想である。
先祖から続く家系の流れは、[川の流れ]のようなもの。
先祖に[感謝]できるからこそ、先祖(上流)から流れる命(水)の流れは[感謝]の流れとなり、息子や孫へと引き継がれるのだ。
先祖供養を[負の遺産]と考えるならば、おのずと息子や孫たちは[負の川]を流れることになる。
無理しなくてもいい。
自分のペースていいから、墓守りをしながら大切な場所にして欲しい。
心を鎮められる、自分にとってのパワースポットに。
そして、[墓守り]をしながら学べることは、沢山あるのである。
何を学ぶのか…。
それは[心]であり、
[愛]なのである。

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