[造花]について…

今年もお盆を迎えた。

あちらこちらで、お墓参りをする光景を目にする。

そして、よく耳にするのが、

[造花]という言葉。

お墓の供花を生花にするか、それとも[造花]にしちゃうか…。

確かに墓地を眺めてみると、[造花]にしているお墓は増えたように思う。

[造花]に決めた理由も様々である。

夏は暑いために花の持ちが悪く、すぐに枯れてしまうから…。

墓地が遠くて、生花の水替え等ができないため…。

まぁ、様々な理由があり、それと[向き合った]結果、出た答えが[造花]だったという事でしょう。

こんな意見も確かにある。

「ご先祖様に対して、[造花]なんてけしからん!」

この意見も、ご先祖様を想うにあたり、とっても大切な[想い]である事は確かです。

ただ、僕はちょっと[角度]が違うのです。

お墓の供花は、確かにご先祖様への[想い]の形である。

でも僕は、そこに供えられる[花]の気持ちを考えてしまう。

決して、モノ言わぬ[花]の想いを…。

幸いな事に、我が家のお墓は自宅から近い。

なので、こんな強烈な暑さの中で、頑張って[彩り]を放ってくれている[花たち]に対し、感謝の想いを込めて朝と晩に水を交換する。

「暑い中、ありがとう」

そんな想いを込めて。

また、一日でも長く綺麗に咲いていられるように…。

そして、花が[疲れ]を見せ始めると、それは花の[苦しみ]となって伝わるのだ。

この暑い中に生花を供えれば、花は苦しむのである。

だったら[造花]でいいじゃないか。

確かに[造花]なら、この暑さに苦しむことはない。

しかし、皆んなが[造花]に走ってしまえば、切花として生まれた花たちは[輝く]機会を失ってしまうのだ。

たとえ暑くても、[そこ]で一生懸命に[使命]を果たす。

そんな[花]たちに対し、一日でも長く[輝ける]ように、僕は新鮮で冷たい水でサポートしてあげるのである。

そして[役目]を終えたとき、

[ありがとう]

の言葉と共に、古新聞で包むのである。

結論

花も生きている。

人間の[エゴ]の道具ではない。

花を苦しませてしまうようであるなら、[造花]でいいでしょう。

本来の[花]の持って生まれた[本質]を輝かせてやりながら、お墓に[彩り]を貰えたならば、これがWIN WINの状態なのです。

そして、近くにお墓を構える事が出来ている実状にも感謝なのです。

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